はじめに断っておくと、俺は昔から歌を得意として生きてきたわけではないし、目立った学生生活を送ってきたわけでもないし、未だに2人以上でカラオケに行くと何を歌ったらいいのか全然わからない
が、俺はつくった作品を人前で披露することができる
反応してくれる人がいる、ありがたい
そう思わせてくれたのは先日の
月には行かないワンマンライブ『それでも僕らは月には行かない』だった
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初の完全自主企画(場所だけ借りて総てこちらの裁量次第)そして初のワンマンということもあり、イベント運営の難しさを一端だけだとしても感じた
まずは、この日のために尽力していただいたスタッフの皆に感謝
ジョージさん、あんぽ、遼介、京香さん、楠田さん、STUDIO DO! いつもありがとうございます
(唐突に受付を任されたBa.尚太の後輩ユキさんもありがとうございます)
僕らは沢山の人に支えて貰っている
先に挙げた方々はSTUDIO DO!のチームだ
いつもお世話になっている
俺は一刻も早くこのチームとすばらしくて美しい、心震える景色をみたいと思っている
呆れるほど小さい頃からこいつら観てたんだって、STUDIO DO!の誇りになりたい
僕らは沢山の人に支えて貰っている
カメラマンの平田、通称ゆーひら
こいつは俺と同い年だ
俺らと一緒に成長してきた
バンドに寄り添って、思いを汲もうとして、良い写真を撮ってくれる
俺は平田のことも果てまで良い景色一緒に観たいと思っている
まだまだなのはお互い様だ、覚悟を持って向き合うつもりだ
ダメなとこも嫌なとこも、包み隠さず
カッコいいチームでいよう
僕らは沢山の人に支えて貰っている
1st EP「最終兵器1号」の頃から月には行かないの音源製作を担当してくださっているRSE STUDIO の小川さん
僕らがまだまだ卵にも成れていないときから、月には行かないのことを観てくれている
約4年前、はじめてのレコーディングは終始緊張していた
2日間で4曲という怒涛のスケジュールにも対応してくださった
感謝しかない
それからレコーディングの数も重ね、今もこうして同じ目線、様々な目線で僕らと接してくれている
小川さんは愛に溢れた人だと思う、そして何よりも音楽やそれにまつわるものが大好きなんだと思う
きっと、こんな長文駄文は読んで貰えてないだろう
だからこそ包み隠さず話すと俺大好きなんですよ
今の長崎のバンドシーン、ひいては音楽シーンはRSE STUDIO なくしてあらざるものだと思っています
そして、今回2本のMVを製作してくださった、タケルさん
沢山のわがまま要望に応えてくださった、そしてすばらしい作品をつくれたことに感謝しています
タケルさんと共にした作品なくしては今の僕らはなかったことでしょう
僕らは沢山の人に支えて貰っている
あの日、見届けてくれた皆、そしていつも楽曲を聴いてくれてる皆
本当にありがとう
いつも地元長崎そして九州で支えてくれている、応援してくれている皆の顔を観たとき、俺は俺なんだと思えた、すべては地続きだ
東京でライブがあった時にはいつもその場にいてくれる皆の顔を長崎で観れた時、驚き(すばらしい違和感)と安心で心がほころんだ
今この瞬間、交わることがなかったはずのいくつもの人生を交わらせて、背負って、その感覚に涙腺が揺るんだ
俺はこういうのに弱い
これからも皆の人生を背負わせてくれ、俺は覚悟ができた、だから安心して任せてくれ
俺らと皆で、月には行かない でいてくれ
皆と一緒にどこまでもいけるよ
僕らは沢山の人に支えて貰っている
すまない、ここには挙げきれないほど
沢山の人に支えて貰っている
大切な大切な友達もいて、圧倒されるほどカッコいい先輩もいて、慕ってくれる後輩もいて
全員ライバルです、全員で世間に目にものみせてやりたいです
みんな大好きです
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僕は沢山の人に支えて貰っている
大切なメンバー、いつもありがとう
これからもよろしくね
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思えば沢山のライブをしてきた
右も左もわからずとにかく音を鳴らそうと歌を歌おうと、ひとりでに衝動だけでステージに立っていた2019年、年末のあの日から
なにも変わらない
思えば沢山の人と出会った
これからも、きっとそうだ
俺の走馬灯はすべてバンドのことだろう
これから先、どんな未来であろうと
今この瞬間、文字通り人生懸けて歌っているから
だからこの決められた走馬灯を少しでもキラキラしたものに、そう願ってこれからも歌うよ
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さいごに断っておくと、俺は昔から何かに秀でて生きてきたわけではないし、目立った人生を送ってきたわけでもないし、長崎の辺境の地で生きてきたただの人間だ
あなたがいてくれたから、俺は俺でいられる
誰ひとり欠けちゃいけない
いつもありがとう
これからもよろしく
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忘れたくなくて書き記す、中身はないかもしれないが、石碑のようにただ刻んでみた
2024.10.18.早朝